みんなに喜んでもらう姿は“七宝の作品づくり”にも、“ライブの歌”にも、両者に通じる ──七宝作家・田村有紀さん

2018.07.17

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みんなに喜んでもらう姿は“七宝の作品づくり”にも、“ライブの歌”にも、両者に通じる
──七宝作家・田村有紀さん

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大学時代は、年間200本ものライブをこなすシンガーとして活動していた田村さん。自分の道を模索する中で、七宝焼の伝統を受け継ぐという選択をしました。その想いに迫ります。

模索する中で出合った「自分を表現するカタチ」──

上野
上野

家業を継ぐというのは前々から決めていたんですか?

田村さん
田村

いいえ、2014年に七宝職人になると決意するまでは、まったく考えたこともありませんでした。ただ小さい頃からずっと両親や祖父が七宝をつくっている姿を見てきたので、何かモノをつくるということに強い興味を持ってはいました。

上野
上野

それで美大に進学を?

田村さん
田村

はい、両親が多摩美術大学出身で、すごく楽しかったという話を聞いていたので、その影響もあって美大に進学することにしました。
とはいえ正直、将来のことなんて18の私は何も分からなかったので、友達をつくりたいなという軽い気持ちで進学しました。もともと何事も初めから決めつけることが嫌いなので、まずは色んな人に会おう、好きなことを探求しようと。知らないことを知るために上京したかたちですね。

上野
上野

大学時代からデザインの勉強を?

田村さん
田村

建築学科に進みました。
建築といっても幅広く、家の設計、内装、都市計画からランドスケープ、商業施設、デザイン、彫刻まで色々です。“生きる”にかかわるすべてをデザインするというか。

上野
上野

図面を書いたり模型をつくったり?

田村さん
田村

そうですね、思っていたより理数系の人たちが多かったです。講義中に「先生、ベクトルってなんですか」って質問したら、学生全員が私の方を振り返って。その瞬間、あっ間違ったなって思いました(笑)。
でも、いろんな発想や夢を持っているたくさんの友達が出来ました。遊びも勉強も本気でやる仲間ができたのは私の一生の宝物です。ムサビは最高に楽しかった。

上野
上野

そんな中、シンガー活動も始められたのですか?

田村さん
田村

大学に入ってすぐの頃かな。ちょうど人生を模索しているときにスカウトされて、何か道が開けるかなと思ったのがきっかけです。

上野
上野

模索というのは、このまま建築の道に進むべきか否かということ?

田村さん
田村

というよりは、もっと誰かに自分の中に潜んでいる何かを表現したものを見てもらいたいという気持ちかな。それを形にする場を求めていたのだと思います。例えば、学校で制作した作品も、もっと大勢の人に見て評価してもらいたいという衝動に駆られるようになって…。

上野
上野

それを満たすために、シンガーの道を選んだということですか?

田村さん
田村

そうですね。ステージに立ちたかったんです。そのために歌は舞台上からお客様の顔も見れるし、反応を直に受け取れるかなと。
歌という形でアウトプットをして、お客様から反応をもらい、勉強させていただきつつ、自分の中に落とし込む。これを繰り返していく中で、お客様に喜んでいただけることが、とても嬉しいという気づきがありました。さらに自分の表現も磨けるんだと分かりましたね。

上野
上野

それは、七宝の仕事でもシンガーの仕事でも変わらないですか?

田村さん
田村

そうですね。七宝でもお客様のことを考えてつくるのがすごく好きです。この人は恋人にこれをプレゼントするのかな? と思って、相手を想像してつくったり。お客様に喜んでもらえることに喜びを感じます。

上野
上野

本当に相手の喜ぶ姿が七宝の作品にも、歌にも表れているようですね。

「七宝」をさらに多くの人に知ってもらうために、チャレンジしたブランディング

上野
上野

やはり、七宝焼という伝統が廃れるかもしれないという危機感はあるのですか?

田村さん
田村

どんどん職人が減っていて、七宝町にたくさんあった窯元も今では8軒まで減っています。ほかに跡継ぎがいるという噂は聞きませんし。さらに、三代目の祖父が亡くなり、いつかこの伝統は無くなってしまうのではないかとすごくリアルに危機感をいだきましたね。でも、伝統が廃れる前に、まだやれることは絶対にあると強く思いました。

上野
上野

伝統工芸産業は、正直厳しい状況にあるかと思いますが、そこに飛び込むことに躊躇はありませんでしたか?

田村さん
田村

安定しているお仕事ではないかもしれませんが、魅力にあふれています。両親の作品を幼い頃から見ていて、かっこいいと確信していたので、そこに迷いはなかったです。ただ、宣伝広報が得意な職人の方少ないので、ものや情報があふれている今の時代では、大変なのかもしれません。でも、世の中の方は知らないだけで、七宝焼を知ったら絶対好きになる! って思っていました。

上野
上野

七宝の認知度アップのためにジュエリーブランドもつくられたとか。

田村さん
田村

はい、花瓶や額などの作品はなかなか手を出しにくいという方にも、ジュエリーならば身近に感じていたけるのではと思ったのがきっかけです。価格帯も頑張れば手を出せるようにしています。

上野
上野

新しいことに挑戦するにあたり、周囲からの反発はありませんでしたか?

田村さん
田村

七宝ジュエリーは別に新しいものじゃないんですよ。もともと宝飾品として始まった工芸なので、ブローチなどの小物は以前からあって。なので、新しいことを始めたというよりも、アプローチの方法を変えたという方がしっくりくる感じですね。

上野
上野

見事ブランディングの確立に成功したといえそうですが、ブランディングする上で重要なことはなんだと考えますか?

田村さん
田村

独りよがりじゃ絶対ダメ。多くの人からいろんな考えを聞いた上で、新しいひらめきが生まれたり、改善できることが見つかると思います。そして、インプットをしたらダメもとでもいいので、まずはアウトプットをしてみることが大切だと感じましたね。

上野
上野

これから挑戦してみたいことはありますか?

田村さん
田村

まだまだ覚えなければいけないことがたくさんあるので、腕を磨く毎日ですが、どんどん新しいことにも挑戦していきたいと思っています。もう、やりたいことだらけで。どんどん仕掛けていきたいです(笑)

上野
上野

音楽活動も続けていく予定ですか?

田村さん
田村

それはもちろん! 今は七宝ばかりになってしまって年間200本のライブが年間5本程度なのですが(笑)、待っていてくれるお客様がいる限りは頑張りたいです。

上野
上野

噂では「五代目総長」と呼ばれているとか。

田村さん
田村

そうなんです(笑)。もともとアイドルっぽくないから、「総長」というあだ名をつけられていたのですが、田村七宝工芸の五代目だから、気づいたら五代目総長と呼ばれるように……(笑)。

上野
上野

なかなかインパクトがあるあだ名ですよね(笑)。

田村さん
田村

でしょ(笑)! でもそうして温かく迎えてくれるファンの方たちの空気がすごく嬉しくて。これまで頑張ってきてよかったなって思えるし、七宝を頑張る活力にもなっています。

七宝という伝統工芸の技術を伝承しながら、さまざまな形で表現することに挑戦する田村さん──。七宝のように永遠に色褪せない輝きをこれからもさまざまな場面で魅せてくれるだろう。

Written by Mai Ueno
Photos by Tomoki Igarashi
Factory Photos by Yuki Tamura

profile

田村有紀 たむら・ゆうき

1986年、愛知県七宝町生まれ。「田村七宝工芸」の五代目。
武蔵野美術大学卒業。芸能事務所に所属しCD9枚をリリース、年間200本以上のライブに出演。
七宝作品「金魚」「COTTON」「エビフライ」等、作品は度々受賞。さまざまな職場を経験し、2015年本格的に七宝焼制作を開始すると同時に「SHIPPO JEWELRY -TAMURA YUUKI-」を立ち上げるとメディア取材殺到。若手女性職人グループ「凛九」結成。伝統的な作品も作りつつ新たな表現も追求し、伝統工芸の先駆者であり続ける。

明治16年創業 七宝焼窯元 田村七宝工芸
http://tamura-shippo.com/

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