透明感あふれる七宝焼、その鮮やかさを表現する色は無限大。 ──七宝作家・田村有紀さん。

2018.07.13

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透明感あふれる七宝焼、その鮮やかさを表現する色は無限大。
──七宝作家・田村有紀さん。

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田村さんは、七宝工芸職人でありながら、シンガーとしての顔もあわせ持つ、異色の経歴の持ち主。二足のわらじを履きこなす彼女の、それぞれの活動に秘めた想いの根源に迫ります。

七宝作家・田村有紀さん

古代エジプト時代から存在するという“七宝”に詰まった魅力。

上野
ライター上野

七宝焼とはどんなものなのでしょうか?

田村さん
田村

簡単に言えば、金属とクリスタルガラスの合体工芸。金属にクリスタルガラス釉薬を焼き付け、繊細な模様を描いていく伝統工芸のひとつです。
絵柄を描くのに金や銀を使います。「宝石」「宝物」として世界中で愛されてきました。

上野
上野

「◯◯焼」というと、ロクロをまわしたりする陶芸が真っ先に思い浮かびますが、それとはまた違いますよね?

田村さん
田村

全然違います(笑)。陶芸は土やセラミックなどを原料として作る、お茶碗など日用品から派生した工芸品です。七宝は金や銀、銅を素地にクリスタルガラスを焼き付ける宝飾品で美術工芸品。よく知人に、「こんなの失敗だ、パリーン!って作品を壊したりするんでしょ?」と言われることがあるんですけど、金属で作られているから落としても割れないので、そんなことはできません(笑)。

上野
上野

落としてもコロンって転がるだけってことですね(笑)。

田村さん
田村

ほんと、それです(笑)。多分皆さんの思い描いている焼き物のイメージとは、全然違うと思います。焼いてみて何が出てくるかわからないという偶然の美もなく、すべて計算で作品は完成します。

上野
上野

七宝の歴史はどのくらい古いものですか?

田村さん
田村

七宝の起源を辿ると、紀元前14世紀の古代エジプトで、ツタンカーメンの黄金の面の着色に使われたと言われているんです。

上野
上野

そんな古くからあるんですね!

田村さん
田村

ロマンがありますよね。シルクロードを経て日本に伝わりました。
愛知県の七宝町は日本に七宝焼が入ってきて、技術を高め世界で一番七宝焼の技術があると言われた町です。あ、当時は村ですね。
この地域で作られた七宝焼は世界的に評価が高く、厳密には尾張七宝と呼びます。尾張七宝は大体江戸末期くらいから技術革新し栄え、うちの家は、1883年に初代が窯元を開いたのが始まりです。

上野
上野

七宝の最大の魅力はなんですか?

田村さん
田村

色彩の豊かさと繊細さでしょうか。「宝石で絵を描く、デザイン出来る宝石というのが七宝焼」です。形もデザインも自由だし、ここまで艶やで色彩豊かな工芸はほかにない。どこまでも可能性が広がっていく感じがするんですよね。

上野
上野

本当に色鮮やかで惚れ惚れします。

田村さん
田村

七宝は色褪せることがないので、作ったときの色彩がずっと続くのも魅力のひとつだと思います。

上野
上野

ずっとというのはどのくらい?

田村さん
田村

永遠といっても過言ではありません。時を経ても褪せることなく輝き続ける、七宝が人々を魅了し続ける最大の秘密はそこにあるのかもしれません。

引き継がれる色。そして、色を表現する難しさ

上野
上野

七宝の色はどのように作られるんですか?

田村さん
田村

クリスタルガラスの原料を混ぜ合わせ、1400度の坩堝(るつぼ)で5時間炊き、酸化鉱物の配合で 各種色が出来ます。炊きあがったフリットを粉にして顔料を入れたりして、800℃で焼き直し、粉砕して使います。

上野
上野

化学の実験みたいですね。

田村さん
田村

本当にその通り! しかも、通常の絵の具のように、赤と白を混ぜたらピンクになるというわけではなく、赤と白を混ぜたものをさらに溶かして焼き、粉にしてようやく中間色のピンクのような色が完成。一つの色、グラデーションを作るのも、果てしなく手間がかかる作業なんですよ。でもその分作れる色は無限大。自分の思い描く色を作るのは大変な作業ですが、うちでは代々受け継がれてきた知識、技術が豊富なので、表現が幅広く出来ます。

上野
上野

窯元ごとに、色の配合レシピがあったりするんですか?

田村さん
田村

窯元ごとに独自の色があります。
しかし釉薬(絵の具)から作れる窯元さんは減っているのが実情です。
七宝焼だらけの町でしたが、現在窯元は8軒。私以外に跡継ぎがいるという噂はききません。

上野
上野

七宝を作る上で大変なことは何ですか?

田村さん
田村

何かひとつが大変というよりは、作業工程が多く、すべての技を極めるまでが大変ですね。この世界では、ひと工程覚えるのに10年と言われているのですが、その工程が無数にあるのでまだまだ先は長いです。

上野
上野

一人ですべての工程を行うのですか?

田村さん
田村

昔はそれぞれの職人さんが分業している時代もあったらしいのですが、うちの窯元は代々作家性が強いので、一人ですべてを行っています。それに、今は職人さん自体が少ないので、すべて一人で作っている窯元が多いと思います。

上野
上野

苦手な工程があったりもするんですか?

田村さん
田村

それはもちろん(笑)。私は焼く工程がまだ慣れなくて。小さい作品ならさっと出し入れできるんですけど、立体の作品のような大きいものだと、700~800度にもなる大きな釜の蓋を開け閉めしなくちゃいけないので、とにかく熱いし重い! 落としたら一巻の終わりだし…。いつもビクビクしながら出し入れしています(笑)。

七宝の魅力を余すことなく語ってくれた田村さん。後編ではいよいよ、二足のわらじを履くに至った経緯や、伝統工芸を現代へ伝える七宝工芸職人としての想いについてフューチャーします。

Written by Mai Ueno
Photos by Tomoki Igarashi
GOODS Photos by Yuki Tamura

profile

田村有紀 たむら・ゆうき

1986年、愛知県七宝町生まれ。「田村七宝工芸」の五代目。
武蔵野美術大学卒業。芸能事務所に所属しCD9枚をリリース、年間200本以上のライブに出演。
七宝作品「金魚」「COTTON」「エビフライ」等、作品は度々受賞。さまざまな職場を経験し、2015年本格的に七宝焼制作を開始すると同時に「SHIPPO JEWELRY -TAMURA YUUKI-」を立ち上げるとメディア取材殺到。若手女性職人グループ「凛九」結成。伝統的な作品も作りつつ新たな表現も追求し、伝統工芸の先駆者であり続ける。

明治16年創業 七宝焼窯元 田村七宝工芸
http://tamura-shippo.com/

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