日々、多くの若き才能が登場し、しのぎを削る音楽シーン。2014年に結成、オリジナルなサウンドで存在感を放っている若手注目株のバンドのひとつ、Tempalay(テンパレイ)。彼らは、多くのロックバンドがあまり口にしたがらない、「売れたい」というシンプルな欲求を、さまざまなインタビューで発信している。
その言葉に隠された思いに深く切り込むために、彼らがよく行くという都内のバーで酒を酌み交わしながらインタビュー。じつは、ロックバーでの偶然の出会いをきっかけに結成されたという彼ら。その出会いから、挫折、そしてお金の話まで、ざっくばらんに本音を聞いた。
バーの飲み友達から始まったTempalay
──Tempalayの歴史は、小原さんと竹内さんがバーで知り合ったことから始まったとか。
小原綾斗(Gt & Vo):そうなんです。2011年に地元の高知から埼玉の志木市に越してきて、バイトしながら生活していたときに、たまたま近所のロックバーに行くようになって。
当時はお金がなかったんですけど、お店でギターを弾くと、「お駄賃」としてお酒をご馳走してもらえたんです。その店の常連だったのが、ベースの(竹内)祐也さんで。
竹内祐也(Ba):ぼくは地元だったので、若い頃からずっとその界隈で遊んでたんですよ。今はもうお店はなくなってしまったんですが、当時はしょっちゅう顔を出していました。
小原:祐也さんはすごくぼくのことを可愛がってくれて。週8回くらいの勢いで会ってましたね(笑)。
竹内:可愛い弟みたいな感じだったからなぁ。でも、すぐに「バンドやろう」という話にはならず、2年くらいはただひたすら一緒に飲んでました。二人で東武動物公園へ行ったりしたよね(笑)。
──そんな飲み友達と、バンドを組むことになったのは?
小原:そもそもぼくは、音楽をやるためにこっちに出てきたんですよ。祐也さんは交友関係も広かったし、そこを利用したいなっていう下心もありつつ、「ちょっと一緒にやってみようか?」と。
──そこで前身となるバンドが結成されたんですね。藤本さんが加入したのは?
藤本夏樹(Dr):2014年ですね。当時、ぼくはほかのバンドを組んでいて、池袋の「鈴ん小屋」という小さいライブハウスで彼らと共演したんです。そのときに、楽屋で綾斗にすごい絡まれて(笑)。あのとき、二人ともめっちゃ酔っ払ってたよね。
小原:自分が出る出ないにかかわらず、楽しいライブのときは、ついついお酒をたくさん飲んじゃうんです。たしか、そのときにデモ音源を渡したんだよね。そこには『JOE』とか、今もライブでよくやっている曲も入ってて。
藤本:そう。カッコいいなと思って、試しに埼玉のスタジオまでセッションに行ったのが、そもそもの始まりですね。
「ライブはお酒を飲む場所で流れるBGMでいい。もっと音楽の楽しみ方が自由になるといいなって思うんです」
──小原さんはお酒と音楽の関係性について、どう考えていますか?
小原:そもそも、ライブはお酒を飲む場所で流れるBGMというか、ジュークボックス的な役割でいいと思っていて。本来、ライブハウスってそういう場所だと思うんですよね。日本だと、音楽をしっかり聴く場所だという認識が持たれているから、少しハードルが高い。それがライブハウス離れの原因の一つにもなっているんじゃないかな。値段も高いし。
──日本人のそういう認識は、音楽や、それを演奏するバンドへのリスペクトへの気持ちからきているものなんでしょうけどね。それが今は、ちょっと裏目に出てしまっていると。
小原:そうなんですよ。別にお酒を飲まなきゃいけないって言ってるんじゃなくて、もっと肩の力を抜くというか、音楽の楽しみ方が自由になるといいなって思うんです。とはいえ、自分たちが演奏をしているときは、ちゃんと観てほしいとも思うんですけど(笑)。
──(笑)。そんなTempalayですが、結成して1年で『FUJI ROCK FESTIVAL』出演を果たすなど、順風満帆に進んでいるように思います。自分たちではどう感じていますか?
小原:最初のうちは、ぼくたちも「メッチャ調子ええやん」って思っていました。『FUJI ROCK FESTIVAL』に出て、CDデビューして、海外のフェスにも呼ばれて……「これ、売れたっしょ?」みたいな。今思うと、甘い考えでしたね。
──現実はそんな簡単ではなかった?
小原:CDの売上も変わらないし、自分たち自身も思ったように成長できてなかった。それからは気持ちを入れ替えましたね。誠意を持って仕事をやろう……って当たり前の話なんですけど(笑)。
「1人あたり、月に50万円稼ぐのが目標」。音楽で飯を食うとはどういうことなのか?
──「売れたい」と考えるようになったのは、その頃からですか?
小原:そうです。「売れる」というのはどういうことなのか。自分たちが飯を食える状態ってどういうことなのか、それまでなにも考えてなかったんですよ、信じられないことに。そこで、3人で話し合って「月に1人50万円は稼げるようにしよう」という目標をつくりました。
竹内:月50万稼ぐことがイコール「売れる」という意味では決してなくて。ひとつの目安なんですけどね。
小原:とにかく、具体的な目標を掲げて活動することが大切なんじゃないかと思ったんです。たとえば月に30万稼げるようになったら、今より少し広い部屋に住めるんですよ。このバンドで、というか、音楽をやるという人生を選んでいるなかで、「ここには到達したい」というラインが月に50万円稼ぐということだった。
今のところ、ぼくたちは事務所に所属しているわけではないので、月給というものがないんです。収入は物販とギャラだけ。でも、それはすべて自分たちのところに入ってくる。これが、今後どこかと契約したら、収入に上限をつけられる可能性だってあるわけで、難しいですよね。
──ちなみに、ミュージシャンが月に50万円稼ぐというのは、どういう状態なのでしょうか。
小原:目安の一つとして、「1,000人キャパのライブハウスをつねに満員にする」っていうのはあるんじゃないかな。ただ、今話したように活動形態によっても変わってきますよね。大手の音楽事務所に所属しているのと、完全にインディペンデントで活動しているのとでは、入ってくるギャラも違ってくるだろうし。たとえば、1990年代にミリオンヒット曲を出していたあるバンドは、当時事務所から支払われていた給料が2万円だったらしいです。その一方、自主制作で200万枚売った某バンドなんて、大金持ちですからね。
いろいろなお金の流れ方があるなかで、どうやって目標の月50万を達成し、キープしていくのか。正解はわからないですが、目先のお金だけでなく、土台をつくることも重要で……バンドを続けていくことって大変なんですよね(笑)。
竹内:たとえばZEPP Tokyoでワンマンライブができるくらい売れていても、名前も知らないバンドやアーティストだっているわけじゃないですか。だから知名度があればいいというわけでもない。知名度がなくても、確実に応援してくれるお客さんが多ければ、食べていける。そういうお客さんがちゃんとつくバンドになれれば、別にお茶の間の人気バンドになんてならなくてもよくて。
小原:一時的にバーっと売れるだけではダメなんですよね。ぼくが高校の頃に好きだった、当時めっちゃ売れてたバンドが、今は飯が食えていないという話も聞きました。武道館でガンガンやってたような人たちなのに。だから、ちゃんと作品を気に入ってくれて、ライブをコンスタントに観に来てくれるお客さんをつかめるようなバンドになりたいですね。
ミュージシャンとして「月50万円を稼ぎ続ける」ためには、なにをすればいいのか。後編では、そのサバイバル術により深くフォーカスしていきます。
Written by Takanori Kuroda
Edited by Kenta Kimura , Reino Aoyagi (CINRA, Inc.)
Photos by Keishi Asayama
Tempalay
東京を中心に活動する、小原綾斗(オハラ・リョート / Gt & Vo)、竹内祐也(タケウチ・ユウヤ / Ba)、藤本夏樹(フジモト・ナツキ / Dr)による3ピースロックバンド。ライブはサポートメンバーにAAAMYYY(エイミー / Cho & Syn)を加えた四人編成で行う。『FUJI ROCK FESTIVAL ’15&17』に出演。2015年9月にリリースした限定デビューEP『Instant Hawaii』は瞬く間に完売。2016年1月に1stアルバム『from JAPAN』をリリースし、『SXSW2016』出演を含む全米ツアーを開催。2017年は、2月にEP『5曲』を、8月に2ndアルバム『from JAPAN 2』をリリース。