「私には、学歴もお金もない」。ある時ローリーさんは、みんなの前で涙ながらに語った。
「でも、私には時間がある。だから、この時間を困っている人のために使えることが、とても幸せです。そして、『ローリーに聞いてもらって元気が出た』と言ってもらえることが、私の誇りです」。
バスの運転手をしている彼女の夫は、家に帰らず、お金も入れなくなってしまった。彼女一人で仕事をしながら家計を支える。だけど、フルタイムで仕事をもらえるわけではない。地元のNGOでリーダートレーニングを受けながら、ボランティアで貧困地域の活動に携わる。そうやって少しずつ、彼女は、貧困に苦しむお母さん達を励ます立場になっていった。「本当はシャイだったけど、もうみんなの前で話すことも怖くないわ」。そこにいるみんなが拍手をし、涙を流し、ハグし合っていた。
それから数ヶ月後、ローリーさんは亡くなった。癌だった。それはあまりにも突然の別れだった。
ようやく、長い長い暗闇を抜けて、生きる希望を見つけたのに。そんななかで発覚した病気。もし、彼女が立ち上がることがなければ、もっと体を大事にして休んでいたら、こんなことにはならなかったのだろうか。
まるで、彼女の体の奥から湧き上がってくる熱に触れて溶けてしまったかのように、彼女の命は、あっという間に消えてしまった。あの暑い日のかき氷のように、みるみるうちに溶けてなくなってしまった。
ローリーさんと出会ったのは、私が大学を卒業してすぐの頃だった。学生時代に合宿型のボランティアに参加しにフィリピンに行ったことをきっかけに、私はフィリピンで仕事をするようになった。
そこでは現地のNGOと提携し、貧困地域の生活改善や奨学金支援事業を担当。毎日、さまざまな地域を歩き、どんなことが必要なのか、私たちにはどんなことができるのか、などを、現地のおばちゃん達や学生ボランティアと聞いて回っていた。
「今日はあそこの集落から、あっちまで行くわよ」「えー、そんな距離歩いたら日が暮れちゃうよね?」「まぁ、やってみるしかないでしょ。休み休み行きましょう」。そう言って、日陰を見つけては休みながら、ひたすら歩いた。
年中真夏のフィリピン。汗すらも乾き、喉は渇きすぎて痛くなってくる。それでも、「最近はどう? 学校は行ってる?」「仕事の調子はどう? 魚は売れてる?」などと、とにかく頻度を落とさないように顔を出して回り、そして、時折深刻な問題を発見しては、何ができるか、と解決に頭を悩ませた。
ある暑い日の、朝から歩き回った夕方。なじみのおばちゃんのうちにたどり着き休んでいたところ、気付けば私は眠ってしまっていた。熱風が回ってくる扇風機の横の、石で造られたベンチの上で。ハッと目を覚ますと、いつものおばちゃん達が笑っていた。
「あんたまたそんなに歩いたんだって?」「日本人なんだから、お金払って乗り物に乗ればいいじゃない」「それじゃ仲間になれないって言って聞かないのよ」「ほんと、面白い日本人だね(笑)」。そう言いながら、「ほら、食べな」と言って渡されたのは、かき氷だった。
フィリピンには、ココナッツ、タピオカ、お芋、小豆などをごちゃ混ぜにして食べる「ハロハロ」という練乳のかき氷がある。本当は、ちょっと高級なチェーン店じゃないと安全ではない、とも旅行ガイドなどには書かれている。市場などで売っているものは、井戸水の氷を使っている可能性もあり、そうなればお腹を壊してしまうこともある。
だけど私はあえて、出されたお水や食べ物は必ず、全部残さず口にすると決めていた。そうしなければ、向こうも心から仲間だとは思ってくれない。価値観も文化も習慣も、何もかも違う異国で育った人間同士。それでも心を通じ合わせようと思うなら、それを態度で示さなければならない。
ちょっとだけ、ドキドキしながらかき氷を口に運ぶ。「わぁ〜、冷たい! 甘い!! 美味し〜〜〜い!!!!」。不安なんて吹っ飛んで、次々に口に運んでしまう。1日中歩き回って熱くなりきった体の中に、ひんやり甘いかき氷が染みわたる。
しあわせな瞬間。あぁ、生きててよかった、と思える瞬間。汗か涙かわからないものが頬を伝っていく。
「ほんと、面白い日本人だね(笑)」。そうやってみんな、お腹を抱えて笑っている。ローリーさんも、目頭を拭って笑いながら、私の肩をバンバン叩く。日に焼けた肌が、Tシャツに擦れて、ちょっと痛かった。
あの日食べた甘くて冷たいかき氷は、もう10年以上経った今でも、記憶に残っている。一瞬で溶けてなくなってしまったけれど、あの頃何に悩んでいて、どんなことが嬉しくて、どうしてあんなに必死だったのか。あの冷たくて甘い一口と一緒に、記憶が蘇ってくる。
そんなふうに、嬉しかったことも、辛かったことも、喜びも、楽しみも、悲しみも。何気ない日常も、人生の重大な出来事も。そして、人の生き死にも。この世にあるものはみんな、あっという間に消えてしまう。氷みたいに、その瞬間に立ち会わなければ、みるみる消えてしまうこともある。
そんな、何気ない瞬間を。ローリーさんのように、今はもういなくなってしまった人の生きた証を。そんなことを、私は、文字に残していきたい。誰かの記憶に、何気なくでいい。これほど言葉や情報が溢れる社会。どんなに大きな声をあげたって、誰にも気付かれずに溶けてなくなってしまうこともあるかもしれない。
それでも、あの日食べたかき氷みたいに。必死でもがいて走り回った誰かが、ちょっと元気になれるような、そんな言葉を残していくことができたら。そんな仕事を残すことができたなら。これから先も、限られた時間を、精一杯生きようと思えるのかもしれない。
Written & Photos by Yasue Kimura
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