「みんな違って、みんないいんだよ。間違いなんか、ないんだよ」
ふと人生に迷ったとき、私のことを支えてくれたのは、母が言ったその言葉だった。
「天狼院書店」というまだできたばかりの小さな船に乗り込むことを決めたのは、私の人生において、ひとつの「賭け」だったのだと思う。
私が就活生の頃、周りの同期たちは次々と大企業に就職を決めていた。みんな自分の進むべき道を見つけ、キラキラしているのに、自分ときたら「やりたいことが見つからない」といつまでたってもうろうろしていた。「自分探しの旅」に1人で出るほどの勇気もなかったし、かといって、受ける企業すべてに「御社が第一志望です」と言えるほどの要領の良さも持っていなかった。
あちらこちらの就職説明会に行き、面接に行き、合間にエントリーシートを書く。帰りがけ、最寄り駅前の本屋に寄り、好きな作家の文庫本を物色し、ストレスを発散して帰る。そんな日々が続いていた。
その頃、「本屋」という存在は、私の生活にあまりに馴染みすぎていて、自分の将来とはとても結びついていなかったのだけれど、いつだったかふと突然、ああそうだ、「本屋」という選択肢もあるのだと気がついた。そんなときに出合ったのが天狼院だった。
本だけでなく、その先の体験も一緒に提供する書店。直感として、「それは面白い」と思ったし、自分に合っているようにも思えた。けれども、天狼院に入社するということを考えたとき、漠然と浮かんだのは、“不安”だった。
その頃、天狼院はまだオープンしてから2年程度しか経っておらず、今のように、全国に6店舗があったわけでもなかった。当然のことながら、有名な会社ではなかった。「衰退産業だ」といわれる書店業界で、周りに名前を言っても「てんろ……え? 何?」と聞き返されることがほとんどだった。だから、天狼院に入社しても、一般的な「幸せ」を手に入れられる可能性はゼロだと断言してもいいくらいだった。「ネームバリュー」とか「安定」とか、私がほしい安心材料は何ひとつ揃っていなかった。
それにもかかわらず私を迷わせていたのは、動物の本能的な勘だった。「書店員という仕事が私の天職のような気がする」という純粋な直感が、私を天狼院へと導いた。
確実な「幸せ」を求めるべきか、それとも、「賭け」に出るべきか
ぐるぐると、ずっと迷っていたときに背中を押してくれたのは、母の言葉だった。「直感では、天狼院に行きたいような気がする。でも、書店員になるより、普通の会社に入って、普通に結婚したほうが、幸せになれるかもしれない」。そんな私の話を、母は黙って聞いていた。そして、優しい声で言った。「どんな人生でもさ、間違いはないんだよ」。それを聞いて、はっとした。どんな人生でも、間違いは、ない。「正解とか、間違いとか、そんなのないんだよ。だってあんたの人生だもん。あんたが選んでいいんだよ」。私が選んでいい。何かに、頭をガツンと殴られたような気がした。
「ほら、覚えてるでしょう? 『みんなちがって、みんないい』んだよ。だから、自分が好きだと思うほうを選んだらいいんだよ」。みんなちがって、みんないい。それは、私が子供の頃から、母が何十回と私に話し続けていた、金子みすゞの詩だった。小学校1年生くらいの頃、『わたしと小鳥とすずと』を暗唱する宿題が出されて、私と母は、帰り道でも、お風呂の中でも、2人でずっと声に出して言っていたのだ。
「みんなちがって、みんないい」
久しぶりに声に出してみると、どこからともなく、不思議な力が湧いてくるような気がした。そうだ。この世の中に、人生に、正解なんかない。他人が私の人生を評価する権利もなければ、私にだって、誰かの人生を「おかしい」と主張する権利はないはずだった。人には人の良さがあり、私には私の良さがある。私の人生は私のものであり、他人のものでも、社会のものでもない。私が選ぶべきものなのだ。
なのに、私は「私の人生」を求めるのではなく、「正解の人生」を求めるようになっていた。みんなが「いいな」と言ってくれるスペックを求め、SNSで自慢できるようなライフスタイルを手に入れようとしていた。私はみんなが認める幸せを追い求めることに夢中になって、自分の幸せが一体何なのか、考える努力を怠っていただけなのかもしれない。
結局私は、天狼院書店に就職する決断をした。ネームバリューも安定も確実な幸せもなかったけれど、それでも、「私の人生」を手に入れるために、ここに入ることに決めた。
そして今、これが私の天職だと思っている。迷いに迷ってここにたどり着き、仕事をしている自分だからこそできることがあると思っている。なぜなら、「本屋」とは、人が迷うための、迷うことを許される唯一無二の場所だと思うからだ。
人生は選択肢の連続で、日々、次は何をしようかと選択をせまられる。迷い、悩み、苦しみ、考えすぎてどうするべきか、分からなくなってくることだってある。そんなとき、ふと本屋に寄って、視界が開けることがある。あ、こういう考え方、なかったな。「自分が知らないことを本から教えてもらえたな」。そんなふうに、「有益な情報」を求めて人は本屋に行く。「本」は自分が知らない世界へ連れてってくれる、どこでもドアのようなものなのだと思う。
私は、私自身が迷いに迷う人生を送ってきたから、人がいくら迷ってもいい場所を創りたい、そう思うようになった。「迷う」とか「悩む」とかの行為は、ともすればマイナスにとらえられがちで、そんな暇があったらどんどん動けとか、時間がもったいないとか、そんなふうに言う人もいるけれど、それでも、「迷う」時間は必要だと私は思う。そして、いくら迷ってもいい場所が本屋であり、人が思いっきり迷い、悩める空間を創るのも、本屋の役割だと思っている。
世の中には、さまざまな人がいて、さまざまな人生がある。十人十色。人には人の色があり、似ているけど実はちょっと赤が混ざっているとか、どす黒い中にちょっぴりキラキラしたシルバーが混ざっているとか。じっと目を凝らして見ていると、面白い発見が多々ある。日々、書店員として働いていると、ものすごく大きくてカラフルな虹を間近で見ているような錯覚に陥ることがよくある。人の悩みとともに、めまぐるしく、さまざまな色が私の目の前を通り過ぎていく。
それが面白くて仕方がないと思うし、だからこそ、ゼミや部活やイベントなど、本だけでなく、その先の「体験」も一緒に提供して、自分の色を自分らしく出せる空間をもっともっと創っていきたいと、心から思っている。
そして、この仕事を続けていくなかで、私も私だけの色を、迷いながらでも少しずつ、生み出していきたいな、とも思う。周りに置いていかれそうになっても、焦る必要はない。まして、他人から「お前の色は汚い」と言われても、落ち込む必要もない。
「色」に、正しいも間違いも、存在しない。ただ、その人の「色」が、「色」として存在するだけだ。ちょっとずつ進んでいければ、それでいいのだと、私は信じている。
「みんなちがって、みんないい」。そのことはずっと前から、私が子供の頃から、言葉が、詩が、本が教えてくれていた。
迷ったら、本屋に行けばいい。本は、必ず私たちの味方になってくれるはずだから。
Written by Sayo Kawashiro
Photos by Natsumi Yamanaka(一部のぞく)
天狼院書店とは
京都、福岡、南池袋、池袋駅前、2018年4月には「Esola池袋」、さらに「スタジオ天狼院」を加えて全国に6拠点を構える新刊書店。「READING LIFE」をテーマに掲げ、本を読むだけではなく、その内容を「体験」を通してさらに楽しもうと、連日さまざまなイベントを開催している。
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天狼院書店 URL
http://tenro-in.com